ゲシュタルト療法

私はゲシュタルト療法自体がとても有機的な構造を持っていると考えています。すべての理論的背景には触れられませんが,特に重要なポイントとして気づき・関係性・創造性の観点から見てみましょう。

ゲシュタルト療法は,1950年代,ドイツ人精神科医フレデリック(フリッツ)・S・パールズ,ゲシュタルト心理学者のローラ・パールズ,ポール・グッドマンらによって開発されました。ゲシュタルトとは,ドイツ語で「形がまとまっていく全体」「統合された形態」といった意味の言葉です。

ゲシュタルト療法では解釈や分析は行いません。心と身体を分けることもしません。人間が有機体であること,生まれ持っている有機体の機能に着目し,信頼したうえに成り立っている療法です。身体があり,こころがあり,精神があり,全体で「わたし」です。誰もがこの全体で,環境(状況)に,その時その時に,応答しながら生きています。私たちがストレスを感じている時,同じパターンの繰り返しや,膠着状態を感じる時を,フリッツ・パールズは「気づきが欠けている状態」と指摘しました。漠然としたもやもや,考えと気持ちが一致していなかったり,気持ちや考えと行動が一致していなかったり……。

「今ここ」に気づいていくこと,「今ここ」のありのままの自分を体験し,決まりきったやり方ではないことを実験しながら統合へと向かうプロセスを促進します。この気づきのプロセス自体が創造的で自己成長を促し,癒しをもたらします。

【気づき Awareness 】

人間は次の3つの気づきの領域を持っています。

「内部領域」… 感情・感覚として感じる領域
「中間領域」… 解釈・分析・判断・評価・想像(予想)・思い出すなど思考する領域
「外部領域」… 五感を使ってキャッチしている他者・環境である現実の領域

3つの領域には特徴があります。内部領域と外部領域は常に今この瞬間しかありません。自分の感情・感覚も,他者や周囲の環境も,常に一瞬一瞬に変化し続けています。中間領域の思考はそうではありません。過去を思い出していたり,何かを過去に蓄積した情報と照らして分析したり,未来を想像したりする領域です。思考し続けていると「今ここ」を体験することを妨げてしまいます。

もうひとつの特徴は,人間は一度にひとつの領域にしか気づけないということです。考え事をしていて目的地を通り過ぎた,というような経験はあるでしょうか? 美しい花に見とれることと同時に考えることはできませんし,話をすることと同時に感じることはできないのですね。

生きているということは常にどうするか選択の連続です。気づいていなければ選択肢が持てません。3つの領域すべてに十分に気づくことは,選択肢を増やすことに繋がるのです。

【関係性 Relation 】

人間は常に環境と関わり合い,影響を受けながら生きています。環境,他者とどのような関わり=関係性を持っているのか,持っていないのか,自分自身とどのように関わっているのかが,生き方に影響します。例えば子どもが泣いている時,「おお,よしよし」と抱っこされたらその子どもは安心するでしょう。この関わりから「他者は頼りになる」と学ぶかもしれません。この時に「泣くな!」と怒られたらどうでしょうか。この関わりから「泣いてはいけない」と歯を食いしばることを学ぶかもしれません。無視されたらどうでしょうか。「泣いても誰も見てくれない」と絶望するかもしれません。関係性は生きることに大きく影響するのですね。

ゲシュタルト療法ではセラピストとクライエントは,互いにひとりの人間として向き合います。クライエントがどのような関係性を得てきたか,得てこなかったかに関わらず,「今ここ」でありのままを見て,聴いて,感じるセラピストとの関係を体験するのです。「治療者と患者」ではなく,セラピストがひとりの人間として関わることによって,クライエントは「役割や立場」に囚われない自由な存在として居ることを体験します。関係性が私たちの生き方に大きく影響することを考えれば,セラピストとの「今ここ」での関係の質がサポートに繋がるのです。

関係性について理論的背景としてM・ブーバー「我と汝」が説明に使われています。ブーバーは「愛は<われとなんじ>の<間>にある」と書いているのですが,簡単にいうと主体的にわたしとあなたが出会うとき,はじめてそこに自ずと生まれるものがある,という意味合いです。何かに「ついて」話している時は客観的ですね。ブーバーはこの関係を「我-汝」に対して「我-それ」と区別しています。最初にゲシュタルト療法は解釈や分析をしないと書きましたが,この解釈や分析をしている時は,主体的ではなく客観的な関わりです。それよりもクライエントと接していて何を感じ,体験するのか,そのセラピストと接して何を感じ,体験するのかを重んじるのです。「体験なくして変容はない」とフリッツは言っています。このように「今ここ」の体験をゲシュタルトでは重視しています。

【創造性 Creativity 】

有機体というのは創造的な生きものです。環境に応じて自在に生きる力を備えています。コンクリートや岩の隙間から伸びている草花をご覧になったことはありますか? みかんやリンゴは接ぎ木して育てることが多いのですが,カラタチの木にみかんを接ぎ木するとみかんの果実が成るのです。近年の夏は,関東地域でもかつては生息していなかったクマゼミの鳴き声が聞こえるようになりました。彼らは環境に応じて自在に変化し続けます。

人間も本来同じように創造的な生きものです。その時その時,変化し続ける環境に応じています。ところが同じ行動,似たような状況になることに気づくことがあります。同じ相手と繰り返す言い争い… ,時や場所や相手が違うのに,違う会社,違う出来事なのに,似たような繰り返し… ,自分自身に起きるパターン… 。それは過去に経験した自分ではどうしようもない状況の中で,生き延びるための知恵が感情を凍りつかせて閉じ込めた状態から起きていることです。これを「未完了の問題」といい,フリッツとローラは魯迅の言葉を引いて「凍りついた炎」と呼んだそうです。ゲシュタルト療法では,こうしたパターンを大切に見ています。それは未完了の問題が「凍りついた炎」となって,現在も解決を求めていきいきと出現していると捉えているからです。

セラピストが,クライエントやセラピスト自身に起きるすべてのことに関心を持ち,解釈や分析から自由になって「今ここ」で関わるということが創造的な態度ですし,クライエントがどのように「今ここ」を失うのか,パターンの中に入るのかに気づけば,自ずと別の選択肢が生まれてきます。気づき,体験し,気づき,体験し,気づくプロセス自体が創造的なのです。私はこれが有機体の,人間の豊かさだと感じています。